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大阪地方裁判所 昭和41年(わ)36号 判決

被告人 島袋清 外三名

主文

被告人島袋清を懲役八年に、

同松茂良弘を懲役七年に、

同上原秀吉を懲役四年に、

同具志堅弘を懲役二年に、

各処する。

未決勾留日数中被告人島袋清および同松茂良弘に対しては、それぞれ三三〇日を、同上原秀吉および同具志堅弘に対してはそれぞれ三〇〇日をいずれも被告人らの右各本刑に算入する。

訴訟費用は別紙訴訟費用負担明細表のとおり被告人らの負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人らはいずれも琉球沖繩に本籍を有し、出生時あるいは幼少時より沖繩本島に居住し、いずれも同地の中学校を卒業したのち、被告人島袋清は、木工業手伝、バーテンなど、同松茂良弘は、アイロン工など、同上原秀吉は、大工など、同具志堅弘は、理容師見習などの職業に就き、被告人島袋は、昭和三八年二月ごろ、同松茂良弘は昭和三九年一〇月ごろ、同上原は昭和三八年ごろ、同具志堅は昭和四〇年一月ごろそれぞれ同地の暴力団山原派あるいは同派の前身たるコザ派の組員となつたものである。

ところで従来沖繩には、那覇派とコザ派の二つの暴力団が存在していたが、右のうちコザ派においては、昭和三九年九月ごろ幹部の間で意見の対立が生じ、国頭出身者によつて組織された山原派と泡瀬出身者によつて組織された泡瀬派に分裂するに至つた。そして昭和四〇年当時山原派は組員約一〇〇名を擁し糸村直樹がこれを統率していたが、実際の運営には親川文一(又は文夫)、仲宗根喜村らが当り被告人島袋清は、同派の中堅幹部の地位にあり、俗称コザ市十字路付近および美里村字美里所在の通称吉原特飲街付近に勢威を持ち、一方泡瀬派は組員約一〇〇名を有し喜屋武盛一がこれを統率し、コザ市胡屋付近および宜野湾市普天間付近において勢力を握つていた。ところが右山原派および泡瀬派は資金源の獲得や勢力範囲の拡張をめぐつて、前記分裂以来互いに反目対立を続け、しばしば、両派の組員同志による殺傷事件や乱闘事件が引き起されたが、昭和四〇年以後両派の対立抗争は次第に尖鋭化し、互いに隙があれば相手派組員の生命身体を殺傷しようとしてその機を窺い、緊迫した状勢を醸し出すに至つていた。

第一、被告人具志堅弘は昭和四〇年一月末ごろ同被告人の情婦玉城るり子から、かねて同女が前記泡瀬派幹部比嘉政勇(当時三一年)の経営するバーで働いていた際の給料の一部を受取つていない旨を聞かされていたので、これに藉口して同人を殺害して男をあげようと考え、その機会を窺つていたところ同年二月五日午前零時ごろ、右るり子と共に美里村字美里所在の前記吉原特飲街に赴いた際、折しも比嘉政勇が泡瀬派首領喜屋武盛一の運転する乗用車に同乗して右特飲街に来り、同所自警団事務所前付近において、車中から付近にいた前記るり子に話しかけているのを認めるや、直ちに右乗用車に近寄り、右政勇に対し「話があるから車から降りてくれ」と申し向け、同人が降車するや、いきなり全長約二〇センチメートルのアイスピンを右手に持つて同人の横腹に突きつけ、左腕を抱え込みそのまま同人を同所所在バー「若竹」(美里村字美里五三〇番地)前付近路上に連行し、前記給料未払いの件について同人を難詰した。一方被告人上原秀吉らは、後記第二のとおり、比嘉政勇の身を案じて同人を探していた前記喜屋武盛一に切りかかり同人に逃げられたあと、被告人具志堅が右「若竹」前で右政勇と口論しているのを認めるや、同人が山原派の繩張りに入つて来て、被告人具志堅に対し、喧嘩闘争を挑んでいるものと直感し、かくなるうえは右具志堅に加勢して、右政勇を殺害しようと決意し、付近に居合わせた大城孝章、大城和夫、仲宗根喜村、仲宗根吉福、仲村春保通称リンエイ等数名の山原派組員と共に暗默のうちに意思を相通じて、右「若竹」前に殺到し、被告人上原は、いきなり「この野郎」と叫んで所携の刃渡り約一二、三センチのナイフで右政勇の顔面を切りつけた。これをみた被告人具志堅は右上原と暗默のうちに互に意思を通じ右政勇に死の結果を生じてもやむを得ないと決意し、所携の前記アイスピンで同人の腹部を一、二回力一杯突き刺し、同人が、その場から約五〇メートル離れた同特飲街バー「大阪」付近に逃げるや、被告人らは口々に「殺せ、殺せ」と怒号しながら同人を追いかけ、同人が右「大阪」前路上に転倒するや、被告人らは右政勇を殴る、蹴る、踏みつける、短刀で突き刺す、あるいは石塊やコンクリートブロツクの破片を投げつけるなどし、同人が動かなくなつたので死亡したものと思つて、その場を立去つたため、同人に対し加療約五ケ月を要する左側頭部より左耳介部に至る裂傷、前額部より鼻部に至る裂創、左臀部刺創、左大腿部打撲挫創および内出血ならびに静脈瘤、動脈瘤、臍上部刺創の傷害を負わせたに止まり、殺害の目的を遂げず、

第二、被告人上原は、前記のとおり右具志堅に連行された前記比嘉政勇の身を案じ、同人を探し求めて前記特飲街バー「まさる」(美里村字美里五三九番地)前付近に来た前記喜屋武盛一(当時三四年)を認めるや、山原派の繩張りに侵入して来るとは生意気千万、かくなるうえは同人を殺害するに如くはないと決意し、いきなり同人の背後から所携の前記ナイフで同人の右大腿部を突き刺し、同人が振り向いて身構えるや「お前はカポネ、今日は殺してやる」といつてさらに同人の大腿部を突き刺し、同人が前記バー「若竹」方面へ逃げ出したところ、付近にいた数名の山原派組員と暗默のうちに意思を通じ、逃げる右盛一を掴え、追いついた被告人上原において右盛一の胸部等をめつた突きしたが、同人が付近のきび畑に逃げたため、同人に対し安静加療約一ケ月を要する、左第三肋間刺創、左大腿刺創(三ケ所)、右大腿刺創(五ケ所)の傷害を負わせたに止まり、殺害の目的を遂げず、

第三、被告人具志堅弘は同年五月三〇日夜鹿児島市易居町一三番地所在旅館「いこい」に至り、知人の同旅館経営者知念清吉に一万円の借用方を申し込んだところ断わられ、翌三一日午前二時ごろ、友人の高良信徳と共に再び同旅館を訪れたが、右知念が表戸を開けないので立腹し、右高良と共謀のうえ、こもごも付近の石塊を拾つて、同旅館表戸に投げつけ、右知念所有の同旅館表戸ガラス九枚(時価一、二六〇円相当)を叩き割り、さらに同旅館前路上に駐車中の同人所有自動車の前面ガラス一枚(時価一五、〇〇〇円相当)を叩き割り、もつて数人共同して器物を損壊し、

第四、被告人島袋清は同年一月一五日午前二時半ごろ前記吉原特飲街内バー「ゆかり」前付近を通りかかつた際、山原派組員の砂川雄良、山城朝栄らが比嘉定二(当時二五年)、嘉手川重隆(当時二三年)、比嘉克明、糸数昌亮と口論しているのを認めるや、右砂川らに加勢し、同人らと共謀のうえ右比嘉定二らに所携の短刀で切りかかり、さらに逃げる同人らを追いかけて短刀を投げつけるなどし、よつて同所付近で右比嘉定二に対し、加療約一五日を要する前頭部挫創、左右臀部刺創、右嘉手川重隆に対し入院加療約一ケ月を要する左大腿部刺創(二ケ所)、左手擦過傷および顔面挫創の各傷害を負わせ、

第五、被告人松茂良弘は同年八月二〇日午前四時ごろ、前記吉原特飲街内バー「カナリヤ」(美里村字美里五三九番地所在)前付近路上において山原派組員嘉手苅文一、仲宗根喜村、小橋川兼喜、通称キヨウエイと徘徊していた際、折から同所を自動車に乗つて通りかかつた泡瀬派幹部の翁長良学(当時二三年)より「馬鹿野郎等、どかんか」と怒鳴られたことから口論となり、同人が降車するや、被告人松茂良らは互に意思を相通じて右嘉手苅においていきなり右良学の顔面を手拳で突き、さらに同人を投げ倒し、ついで被告人らにおいてこもごも右良学を殴る、蹴る、石を投げつける、ガラス瓶を割つて突き刺すなどし、よつて同人に対し加療約三五日を要する腰部刺創、右上腹部刺創、右手挫創、右側頭部挫創の傷害を負わせ、

第六、被告人松茂良弘は同月二六日午後三時ごろ被告人島袋清を同乗させて大型乗用自動車を運転し、コザ市字安慶田付近二四号線を北進中、コザ警察署室川巡査派出所前付近に差しかかつた際、前方路上を泡瀬派幹部高良和一が同組員呉屋栄之肋(当時二〇年)を同乗させて同方向に進行している軽三輪貨物自動車に気付くや、当時山原派と泡瀬派の対立は極めて激しく両派互いに相手派組員を殺傷する機を窺つていたような状況にあつたところから、被告人両名は共謀のうえ、被告人両名の運転する前記大型乗用車を、右貨物自動車に追突させて同車を転倒させれば、その結果右高良および呉屋が車輛の下敷になる等して死亡の結果を生じてもやむを得ないと決意し、直ちに被告人松茂良において速度を増し、これに気付いて逃走を続ける右軽三輪貨物自動車を約二〇〇メートル追跡し、同市字安慶田一三〇番地付近路上において同車に被告人らの車輛を追突させ、さらに約四〇メートル進行して再び追突させて、そのまま約二〇〇メートルにわたつて右貨物自動車を押しまくり、同市字安慶田一九〇番地先路上の人家のブロツク塀に同車を激突転倒させたが、右衝撃により右呉屋に対し入院加療約五日を要する右下腿裂傷(アキレス腱断裂)右示指裂傷の傷害を負わせたに止まり殺害するに至らず、

第七、前記のとおり同年八月中旬に至つて両派の対立抗争はますます激しくなり、同月二〇日以後は前記第五の傷害事件をはじめとして両派の組員同志の傷害事件が頻発し、さらに同月二三日ごろ泡瀬派の組員数十名が山原派の繩張りである前記吉原特飲街において同派組員に攻撃を加え、これに憤慨した山原派の組員約三〇名が翌二四日コザ市胡屋にある泡瀬派のアジト(組員の溜り場)を攻撃したが、かえつて泡瀬派の反撃にあつて敗走するという事件も起つた。両派はこのころからそれぞれのアジトに組員が日本刀、槍、棍棒などの凶器を持つて集結し互いに相平派の攻撃にそなえるようになり、山原派の組員五、六〇名は同月二六日前記吉原特飲街内のアジトに立て籠つたが、警察の解散命令により二七日嘉手納村のアジト(古謝憲一方)に移動し、再び警察の解散命令にあい二八日にはコザ市安慶田のアジトに移り、この間泡瀬派の動向を探つていたが同派の明確な動きをつかむことができず、ついに二八日夕刻山原派の幹部親川文一(又は文夫)は組員を集め「もうこれ以上我慢できない、五、六名ずつグループになつて偵察し、相手がいたら殺してしまえ」と命令するに至つた。かくして同日午後八時ごろ被告人島袋清らは、右親川の指図によりコザ市胡屋の泡願派のアジトを偵察に行つたが、同派の組員がいなかつたのでまもなく立戻つたところ、右親川は再び被告人島袋らに普天間のアジトを偵察するよう命じたので、同日午後九時ごろ右被告人島袋清および同松茂良弘は山原派組員砂川雄良、同平良義夫、同喜納盛吉と共に全長約一米の日本刀二振、全長約一メートル三〇センチの槍三本を携えたうえ自動車に乗つて出発し、まもなく泡瀬派の普天間のアジトである宜野湾市普天間一六九番地所在平良清秀方にひそかに近づいた。そして右アジトには数名の泡瀬派組員がいることを確認するや、被告人ら五名は共謀のうえ同所に殴り込んで右泡瀬派組員を相手かまわず殺害しようと企て、右自動車内でそれぞれ覆面して相手に顔を見られないようにしたうえ被告人島袋、砂川は日本刀を、被告人松茂良らは槍をそれぞれ携えて一気に右平良方に乱入し、不意をつかれた泡瀬派組員を追い散らし、逃げ遅れた同派組員新里光夫(当時二〇年)に切りかかつたが、結局同人に逃げられたため同人に対し加療約一ケ月を要する左上肢前腕内側刺創(貫通創)の傷害を与えたに止まり殺害の目的を遂げず、

第八、その直後右被告人ら五名が右平良方表路上に出て来た際、たまたま泡瀬派組員大城邦夫(当時二一年)、大城善秀(当時三二年)、岸本広元(当時二七年)、島田長栄(当時二七年)および長山寛保の五名が塔乗する乗用車が、右平良方前路上に停車したのを認めるや、被告人島袋、同松茂良ら五名は暗默のうちに意思を相通じて右泡瀬派組員を殺害しようと決意し、いきなり前記各凶器を携えて右自動車に突撃し、同車前輪タイヤを槍で突き刺して運行不能にしたうえ、同車の窓ガラスを叩き割るなどして車中の右大城邦夫、大城善秀、岸本広元、島田長栄を同車の両側から右凶器でこもごもめつた突きにして同所から逃走し、よつて右大城邦夫をして翌二九日午前零時二〇分ごろ、コザ市琉球政府立コザ病院において動脈損傷を伴う左大腿および左下腿部刺創等による出血失血のため死亡するに至らせてその目的を遂げたが、右大城善秀に対しては加療約二〇日間を要する左上膊外側刺創、左顔面裂創、左下顎部刺創、右手裂創、右岸本に対しては加療約一週間を要する右下腹部刺創、右島田に対しては加療約一週間を要する右上膊部刺創の各傷害を負わせたに止まり右三名に対し殺害の目的を遂げなかつた

ものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(法令の適用)

被告人具志堅弘、同上原秀吉の判示第一の各所為、同上原秀吉の判示第二の所為、被告人島袋清同松茂良弘の判示第六および第七の各所為ならびに判示第八の各所為中大城善秀、岸本広元、島田長栄に対する殺人未遂の点はいずれも刑法第二〇三条、第一九九条、第六〇条に(判示第六の殺人未遂の各所為は一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、同法第五四条第一項前段第一〇条により犯情の重い呉屋に対する殺人未遂の刑に従う)判示第八の各所為中大城邦夫に対する殺人の点は同法第一九九条、第六〇条に、同島袋清の判示第四および同松茂良弘の判示第五の各所為はいずれも同法第二〇四条、第六〇条、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に、同具志堅弘の判示第三の所為は暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条、罰金等臨時措置法第三条第一項第二号にそれぞれ該当するところ、所定刑中殺人、同未遂の点については、いずれも有期懲役刑を、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反、傷害の点については、いずれも懲役刑を各選択し、被告人島袋清の判示第四、第六乃至第八、同松茂良弘の判示第五乃至第八、同上原秀吉の判示第一、第二、同具志堅弘の判示第一、第三の各罪はいずれも刑法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四七条本文、第一〇条により被告人島袋清、同松茂良弘については、最も重い判示第八の大城邦夫に対する殺人罪の別に、同上原秀吉については犯情重い判示第一の殺人未遂罪の刑にいずれも同法第一四条の制限内で、同具志堅弘については、重い判示第一の殺人未遂罪の別に同法第四七条但書の制限内でいずれも法定の加重をし、なお被告人具志堅弘に対しては、情状により同法第六六条、第七一条、第六八条第三号により酌量減軽を施し、以上の各刑期の範囲内で被告人島袋清を懲役八年に、同松茂良弘を懲役七年に、同上原秀吉を懲役四年に、同具志堅弘を懲役二年に各処することとし、同法第二一条により未決勾留日数中被告人島袋清、同松茂良弘に対してはそれぞれ三三〇日を、被告人上原秀吉、同具志堅弘に対してはそれぞれ三〇〇日をいずれも被告人らの右各本刑に算入し、訴訟費用については刑事訴訟法第一八一条第一項本文により主文第三項(別紙訴訟費用負担明細表)記載のとおり被告人らに負担させることとする。

(弁護人の公訴棄却の申立について)

弁護人は、本件各公訴事実(但し被告人具志堅弘に対する判示第三の事実を除く)について日本国は裁判権を有しないから刑事訴訟法第三三八条第一号により本件各公訴はいずれも棄却さるべきであると主張し、その理由として次のように述べる。

即ち沖縄住民が日本国籍を有していることは認めるが、しかしながら沖繩諸島および沖繩住民に対してはアメリカ合衆国が平和条約第三条によつてすべての統治権を排他的に行使しており、日本国は沖繩諸島および沖繩住民に対して統治権を及ぼすことができないばかりか、日本国の沖繩住民の戸籍に関する立法や実務上の戸籍の取扱のいかんにかかわりなく沖繩住民に対しては、琉球立法院制定にかかる戸籍法(一九五六年立法第八七号)が施行適用されているほか、日本国の法令は沖繩住民に対しては一つも適用されていないのみならず、沖繩住民の琉球と日本本土との往復には琉球民政府の発行する旅券が必要なのであるから、かような沖繩住民に対して日本国が対人主権を有するということはできない。従つて沖繩住民は刑法第三条にいう「日本国民」に該当しないから同住民に対しては刑法の適用もなく、日本国は、前判示の如く琉球沖繩において犯罪を犯した沖繩住民である被告人らが日本本土に到来してもこれに対して裁判権、公訴権を有しないと。

しかし当裁判所が去る昭和四一年六月二九日の第五回公判期日において弁護人の公訴棄却申立に対する当裁判所の見解としてすでに明らかにしたとおり、沖繩住民は弁護人も認める如く国際法的にみても、また国内法的にみても日本国籍を有しているのである。しかして国家は、その国籍を持つ人民に対してはその居住地のいかんにかかわらず、対人主権を保有するというのが国際法上認められた原則であり、これを本件についてみれば沖繩住民は日本国籍を持つているから、その国籍所属国たるわが日本国が同住民に対してその対人主権を行使しうべきものである。ただ琉球諸島およびその住民に対しては平和条約第三条によりアメリカ合衆国に立法、司法、行政の権力を行使する権利を認めた結果、これを侵害するような日本国の対人主権の行使が制限されているにすぎないものである。またアメリカ合衆国が沖繩諸島在住の日本国民に対し琉球住民なる特殊の身分を設けたり、あるいは同住民が日本本土を往復するに際して琉球民政府発行の旅券が必要とされるにしても、これらは同国が右統治権を行使する都合上行つている措置にすぎないからこれらの事実があるからといつて日本国が沖繩住民に対して対人主権を有しないとはいえない。この結果、沖繩住民が日本本土に到来すれば、日本の諸法令は他の日本国民と等しく右沖繩住民に適用されることになるのであるが、沖繩住民が沖繩諸島に在住する限り、日本国の法令中属地的な適用を予定されているものは、その適用が排除されるけれども、属人的な適用が予定されているものは、なお適用され得るものと解すべきである。そしてわが刑法も第三条において日本国民による一定の国外犯については刑法を適用すべき旨を規定しているところ、右日本国民とは日本国の対人主権に服すべき者を指し、従つて沖繩住民もこれに該当することは前記の当裁判所の見解において示したとおりであるから、沖繩住民が沖繩諸島(同諸島が刑法第一条の日本国内に該当しないことについても前記当裁判所の見解に示したとおりである)において刑法第三条所定の犯罪を犯した場合には刑法の適用があるのは当然のことである。ただ沖繩諸島にはアメリカ合衆国の統治権が排他的に及んでおり、日本国は同諸島に対して裁判権、公訴権を行使することができないから、右沖繩住民が沖繩諸島に居住している限りは日本国は同住民に対して裁判権、公訴権を行使することができないというにすぎず、同住民が日本本土に渡来した場合は日本国は同住民に対して裁判権、公訴権を行使し得るに至るわけである。

以上の次第であるから、当裁判所は本件被告人ら四名に対し裁判権を有することは明らかであると考えるものである。なお弁護人は、日本国民が外国に居住している場合には法例により日本国民たるに必要な法律が適用されるところ、沖繩住民には法例の適用はないのはもちろん日本の法令は一つも適用されていないとして沖繩住民に刑法の適用がないことを論証しようとするのであるが、法例は日本国の裁判所においていずれの外国私法を適用して裁判すべきかを規定するものであり、沖繩諸島に対しわが法例が適用されるか否かにかかわらず前記のとおり刑法は一定の犯罪について沖繩住民に対して適用されるのであるから弁護人の右主張は失当といわざるを得ない。弁護人のその他の所論を参酌してもなお当裁判所の前記見解を変更する必要をみないから弁護人の主張は採用しえない。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 松浦秀寿 安藤正博 小河巖)

(別紙)訴訟費用負担明細表〈省略〉

弁護人の公訴棄却申立に対する当裁判所の見解

殺人・同未遂・侵害 島袋清

右同 松茂良弘

殺人未遂 上原秀吉

右同 具志堅弘

右被告人らの頭記各被告事件につき、同被告人らの弁護人網田覚一、同太田稔から、日本の裁判所は本件につき裁判権を有しないので公訴棄却の裁判をされたい旨の裁判所の職権発動を促す申立がなされたので、これに対し当裁判所の見解を次のとおり明らかにすることとする。

一、まず弁護人の主張の要旨は、被告人らはいずれも琉球の住民であり(以下琉球諸島に本籍を有し、同地に居住している者を沖繩住民と略称する)、本件各公訴事実はいずれも被告人らが琉球において犯したものであるところ、日本国は琉球に対し完全な領土主権を有していないから琉球は刑法第一条第一項の「日本国内」に該当せず、また沖繩住民は日本人ではあつても現在アメリカ合衆国の統治権に服しているから右住民は同法第三条にいわゆる「日本国民」にも該当せず、従つて本件被告人らには刑法の適用がなく、よつて日本国は同被告人らに対して裁判権を有しないというのである。

二、よつて案ずるに、当公判廷において取調べた被告人らの各身上調査照会書および被告人らの当公判廷における各供述によれば、被告人らはいずれも琉球沖繩に本籍を有し、今次大戦の終結前に出生したものであり、出生時又は幼少時よりひきつづき沖繩に居住し、その後被告人島袋、同松茂良は昭和四〇年九月ごろ、同上原、同具志堅は同年三月下旬ごろそれぞれ日本本土に到来したこと、さらに本件昭和四一年一月一〇日付、同年二月四日付、同月一二日付、同年三月一〇日付各起訴状によれば、本件各公訴事実(被告人具志堅に対する同年二月一七日付起訴状による公訴事実を除く)はいずれも被告人らの沖繩居住中にかかる犯罪(殺人、同未遂、傷害の罪)であるが、前記のとおり被告人らが日本に到来したのち右各犯罪事実について日本国の捜査官憲により逮捕され当裁判所に起訴されるに至つたことをそれぞれ認めることができる。

三、弁護人は、琉球諸島は刑法第一条の日本国内と解すべきではないと主張し、検察官も弁護人の意見に賛成しているので、まずこの点について考察を加えることとする。

そもそも、刑法第一条が何人を問わず日本国内において犯罪を犯したものにこれを適用すると規定しているのは、いわゆる属地主義に基くもので排他的な国家主権(領土主権)が行使されていることを前提としているものというべく、日本国内であるか否かは、日本国の統治権ことに立法司法行政の権力が現実に行使されている地域であるか否かによつて決定するのが妥当であると考える。

ところで、国際法上沖繩の地位を決定する基本的な実定法規はサンフランシスコ平和条約であるが、同平和条約(昭和二七年条約第五号)第三条は「日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)、………を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。」と規定し、合衆国は同条に基きひきつづき、同諸島に対し行政、立法および司法権を行使していたが、その後右諸島のうち奄美群島(北緯二七度以北の諸島)は「奄美群島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定)「昭和二八年条約第三三号」により日本国に復帰したものの、これを除く琉球諸島についてはいまだ前記平和条約第三条による「合衆国のいかなる提案」も行われておらず依然として合衆国が行政立法及び司法上のすべての権利を行使して今日に至つている。

さて、右条約第三条を同条約第二条と対比してみると、第二条は、日本国は朝鮮、台湾、千島および樺太等の地域に対するすべての権利、権限および請求権を放棄すると規定しているのに対し、北緯二九度以南の琉球諸島に関する規定である第三条にはこのような文言は使用されておらず、ただ合衆国が行政、立法および司法上のすべての権力を行使する権利を有するとうたわれているのみである。しかもサンフランシスコ講和会議において、アメリカの首席代表ダレスは日本に残余主権を維持することを許す旨の説明をしており、日本国は同諸島に対して平和条約発効後も、制限された範囲内であつてもなお領土主権を保有していることが明らかである。ところで、領土主権の内容を分析してみると、その領土にいる人を統治する権力と、領土そのものを占有し処分する権利とに分けて考えることができるが、日本国は平和条約第三条により前者の権力及び領土そのものを占有する権利を行使する権限を合衆国に与えていることが明白であるから、日本国が保有している領土主権とは領土の処分権であり、しかもその処分権も、同諸島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国の提案(日本国はあらかじめこの提案に同意を与えているのであるから、同諸島の信託統治制度の下におくという処分に関する限り、合衆国が処分権をもつわけである。)を除いたその他の処分を行う権限を意味するに止まるものである。

しかして刑法第一条の日本国内であるか否かを解決するに当つては、日本国がその地域に対して、法上、残余主権を保有しているかどうかを重視すべきではなく、現に立法、司法および行政の権力を行使しているか否かを重視すべきものと考える。そして琉球諸島は平和条約第三条によりアメリカ合衆国によつて占有されており、同国が立法司法行政の統治権を現に行使していて、日本国は右地域に対して何ら統治権を行使していないこと前説示のとおりである。従つて同諸島は刑法第一条にいう日本国内ではないと解するのが妥当である。この点に関する弁護人検察官の所論には当裁判所もまた賛意を表するものである。

四、次に弁護人らは沖繩住民は日本国籍を有するけれども刑法第三条にいう日本国民ではないと主張する。よつて考察を加えると、日本国の領土主権の及ばない国外における一定の犯罪に対し日本国民であるが故に刑法を適用しようという根拠は、いわゆる属人主義に基くものでその人と日本国との間に、本来日本国の対人的統治権に服すべきものであるという法関係が存在するからであると解される、刑法にいう日本国民の範囲は、従つて日本国の対人的統治権行使の人的範囲を明らかにした国籍法によつて定まるというべきである。国籍法は日本国籍を有する者を日本国民であるとしている。沖繩住民が旧国籍法の時代から日本国籍を保有してきたものであることは説明を要しないところであるが、問題は沖繩住民が平和条約によつて日本国籍を喪失し、同住民が日本国の対人的統治権に服すべき法関係は断ち切られてしまつたか否かにある。

まずこの点を国際法の見地から考察すると、確立された国際法上の原則によれば、領土の割譲とともに国籍の自動的変更を生ずるが、琉球諸島を合衆国に割譲したものでないことは前説示のとおりであり、もし沖繩住民の国籍に変更を生ぜしめるものであれば、これまでの慣例に照らし、条約中にその旨の明文を置くのが通常であるにかかわらず平和条約中に沖縄住民について日本国籍を喪失変更せしめるような規定のないこと、同住民が今次の敗戦後現在に至るまで法律上合衆国の国籍を取得したとか、事実上アメリカ合衆国国民と同視できる法的地位が認められているという事実のないこと、国際法の確立した一般原則によれば、一国が領土権を放棄せず単に他国に対してその領土上での権利行使を認めるにすぎない場合には別段の条約の定めがない限りその領土上の住民が領土国の国籍を失うということは当然には認められないと解されていること等を考えると、沖繩住民は平和条約発効後もなお日本国籍を保有し、沖繩住民が日本国の対人的統治権に服すべき法関係は断ち切られていないものと解するのが相当である。

しかし、弁護人は沖繩住民が日本国籍を保有することを認めながらも、平和条約第三条が琉球諸島の領域及び住民に対して行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権限を有すると規定していることを根拠として、沖繩住民に対する対人的統治権は合衆国がこれを保有しているのであり、現に沖繩においては、沖繩住民に対し琉球住民という特殊な地位を設け、これに該当する者に現地法令の運用上他の者と異つた取扱いをしているところよりみれば、沖繩住民が日本国の国籍を有するといつても、それは名目上のものに過ぎず、従つて刑法第三条にいう日本国民と解すべきではないと主張する。

よつて、さらに所論の点について考えてみると、平和条約は沖繩住民の地位を最終的に決定しているものではなく、合衆国が琉球諸島を信託統治制度の下におくことを国際連合に提案するまでの暫定的措置として同諸島における施政権の行使を認めたものであり(しかも合衆国は同諸島を信託統治制度の下におくという提案をすることを条約上義務づけられているわけではなく、国際情勢の変化によつては、奄美群島の例の如く、日本国に返還される可能性も全くないとはいえない。)、沖繩住民の最終的な身分、地位は将来において日本国の同意を得て決定する趣旨であること、現に沖繩住民に対し琉球住民という特殊な地位を設けて他の者と異つた法的取扱いをしているといつても、それは合衆国の国籍を認めたものではなく、また合衆国の委任統治の下にある諸島の住民のような特殊な地位を認めたものでもないことが明らかであり、合衆国が沖繩における施政権行使の都合上行つている措置に過ぎないと考えられることを考慮すると、沖繩住民が前説示のとおり平和条約発効後も依然として日本国の国籍を有することによつて表明されている、日本国の沖繩住民に対して保有している対人的統治権が単に形がいに止まるものとは解し得ないのである。しかも、刑法第三条の日本国民であるというためには、当該人に対し現実に対人的統治権を、完全な領土主権を行使している領域におけると同様に行使している必要はないのであつて(日本国民が外国に居住すれば、その外国にいる間は、現実に日本国内にいると同様に統治権を行使することはできない。)、要は日本国と当該人との間に本来日本国の対人的統治権に服すべきであるという法関係が認められるか否かにかかつていると考えられるのである。

以上の検討により国際法の見地よりみても、日本国と沖繩住民との間に前示の法関係が認められることが明らかである。さらに、国内法に目を転ずると、日本国政府当局は、同諸島の住民が日本国籍を有することを確認しているとともに(平和条約に伴う朝鮮人、台湾人等に関する国籍及び戸籍事務の処理について「昭和二七年四月一九日、法務府民事局長通達」、北緯二九度以南の南西諸島の地位について「昭和二七年九月一二日外務省条約局長回答」参照)、実務上の取扱についてもこの立場にもとずき「沖繩関係事務整理に伴う戸籍、恩給等の特別措置に関する政令」(昭和二三年政令第三〇六号)および「沖繩関係事務整理に伴う戸籍、恩給等の特別措置に関する政令第一条に規定する地域等を定める府令」(昭和二六年法務府令第一五〇号)を定めており、日本国の国籍が問題となるすべての日本国の法令の適用に関しては沖繩住民を他の日本国民と何ら差別するところがないのである。このことは日本国が沖繩住民に対し対人的統治権を保有していることを国内法においても明確に示しているものということができ、かかる国内的措置は平和条約発効後も国際法上沖繩住民が日本国籍を保有していることを前提としているのである。

以上の考察によれば、沖繩住民は、刑法第三条にいう日本国民であると解すべきものと考えられる。

なお、弁護人の主張のうち重要と考えられる二、三の点について判断を加えておくこととする。

弁護人は、沖繩住民は合衆国の統治権に服しており、同住民に対しては日本国憲法その他の諸法令の適用が排除されており実質的に日本国民としての取扱を受けていないから、ひとり刑事責任についてのみ被告人らを日本国民として扱い、これを負担させることはできないと主張する。しかしながら、日本国民が外国に居住している場合には、日本国憲法その他の諸法令は現実にはその適用が排除されているにかかわらず、なお刑法第三条により一定の犯罪を犯した場合に刑法の適用をみるのであるから、所論の如く現実に日本国憲法その他の法令が沖繩住民に適用されていないとしても、そのことを理由として刑法第三条の適用を拒むことはできない。

また、弁護人は出入国管理令第二条、同令施行規則、外国人登録法第二条、同法施行規則によれば前記琉球諸島が本邦以外の地域とされていることを指摘し、その立論の根拠の一つとしているのであるが、出入国管理令第二条第二号、外国人登録法第二条第二項によると、同法令にいう外国人とは日本国籍を有しない者をいうのであつて、沖繩住民は外国人ではないから同法令の適用を受けないことが明らかである。同法令は、琉球諸島が日本国外であるとの立論の根拠となつても、沖繩住民が日本国民でないことの根拠となるものではなく、かえつて沖繩住民が日本国民であることを示す根拠であるとすらいうことができるのである。

なお、弁護人は昭和三二年三月二八日の最高裁判所第一小法廷の判決を挙げ、最高裁判所は琉球住民の刑法犯には刑法第三条の適用なき旨の解釈を採用していると主張している。よつて同判決をみると、同判決は「奄美群島は昭和二〇年一一月二六日付米国海軍政府布告第一号によつて、昭和二一年二月二日から日本裁判所の司法権を停止され、ついで昭和二七年条約第五号日本国との平和条約第三条の規定により同年四月二八日からその領域及び住民に対する日本国の行政、立法及び司法上の権力を行使する権利が停止されていたのであるが、昭和二八年条約第三三号奄美群島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定によつて、アメリカ合衆国は昭和二八年一二月二五日以降右群島の領域及び住民に対する行政、立法及び司法上の権利を放棄するとともに、日本国は右のすべての権力を行使するための、権能及び責任を引受けることになつたのである。すなわち前記軍令が効力を生じた昭和二一年二月二日から右協定発効の前日である昭和二八年一二月二四日までの間わが国は右群島に対する領土権を喪失したものではなく、また同群島に在住した日本人もわが国籍を喪失したものでもなく依然これを保有していたものであるからわが刑法は右群島において罪を犯した日本人に対してもその効力を及ぼしたのであつたが、右期間中はこれが公訴権並びに裁判権の行使をすることを停止されていたに過ぎない。」と判示しており、平和条約発効後奄美群島の返還を受けるまでの期間においても、なお刑法第一条の適用があることを認めた趣旨であると解されるのである。弁護人は右期間中公訴権並びに裁判権の行使をすることを停止されていたと判示している点を強調重視するのであるが、右判決は右の期間中奄美群島に在住している者に対して日本国の公訴権並びに裁判権の行使が停止されていたことを判示したに止まり、奄美大島に在住する者が右の期間中同島で犯罪を犯して本土内に到来した場合に、日本国が公訴権並びに裁判権を行使することを否定する趣旨までを含むものとは考えられないのである。むしろ、右判決の趣旨を推せば、本件の如き場合刑法第一条の適用があり、被告人らが、日本国の領土主権が名実共に行使されている本土に到来した以上、被告人らに対し公訴権並びに裁判権を行使するに何ら支障はないとの結論を導くことになると思われる。従つて弁護人のこの点に関する所論は採用できない。

五、そこで次に被告人らに対する裁判権の有無について考えるに、前記のとおり琉球諸島には平和条約第三条により合衆国の統治権が排他的に及んでおり、従つて日本国は同諸島に対して公訴権、裁判権を行使することができないのであるから、被告人らが琉球諸島に在住している限り、日本国は同人らに対して公訴権、裁判権を行使することのできないことはいうまでもない。しかし前記のとおり被告人らは本件各犯行後日本本土に到来し、その後日本国の捜査機関により逮捕され現に大阪拘置所に身柄拘束中であるから、日本国が被告人らに対して公訴権、裁判権を行使するにつき何らの障害もなく、従つて被告人らが現在する地の裁判所である当裁判所が裁判権、管轄権を有することは明らかであると信ずるものである。

当裁判所は以上の見解に従い以後の訴訟手続を進行させたいと考える。

(昭和四一年六月二九日)

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